掲示板 KOYASU
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書評ありがとうございます。
投稿者:
井沼淳一郎
投稿日:2005年12月21日(水)22時15分3秒
「先生の元気のモト」、書評ありがとうございます。子安先生には進呈しようとリストを準備していたのですが、先生が購入する方が早かったようで、ありがたいことです。
子どものなかの物語を読みとく力と、それに応答して実践の見取り図を構想する力。今、必要なのはこのふたつですね。子安先生の指摘で、このふたつを分析していけるサークル例会づくりが必要なんだと、視点が明確になりました。
これまでの高校像ー積み重ねて階段を昇る者だけが栄光をつかむーを前提にしていては、今の子どもの物語は読めないと、直感します。半分はフリーターになる現実をみすえて、何度でも戻ってきていい、(高校を)ヨコから出ることもありという高校像をイメージしながら、自立の物語を読む目が必要になっているのではないでしょうか。このような高校像の提起が「元気のモト」では弱かったな、といま思います。
(管理人) 今の子どもを読むことと、どう読むのか課題ですね。
また、読むことは、どちらかと言えば、関係の指導と繋がっていますが、自治の指導ともいつかはつなげていく局面も必要になるのだろうと思われます。
そうした研究がまた広がって、広く読まれていく本となると良いですね。
(無題)
投稿者:
不一
投稿日:2005年10月11日(火)08時35分47秒
日曜日は、地域のお祭りだったようだ。
わずかに声が聞こえた。
平日は、工事と車の音ばかりが目立つ中で、嬌声ではない
人の声というのも良いもの。
http://koyasujun.info/
文化祭前
投稿者:
不一
投稿日:2005年 9月12日(月)07時55分0秒
夕立に 群読止んで 輪も緩む
所在なげな担任の方は、ストレッチ。
http://koyasujun.info/
習熟度学習って…
投稿者:
陽炎
投稿日:2005年 9月 9日(金)23時55分4秒
とかく反復練習をさせることで「修得」と"誤解"する向きもあるように思います。
子どもの"世界"というか視野に立って理解を引き出して、その後に定着の作業@ドリルがありますよね。更に、それを実社会(勿論、子どもたちにとってですけど)に応用できる力を養うことが私・公立校(学校)での"学習"の役割だと理解します。
しかし、今日上げられている「数値目標」とはいったい何なのでしょう?
教育の到達度を"数値化"するといった、一見"科学的"な装いをもったこれは、教育を間違った方向に誘導しているとしか思えないのです。注意すべきは、管制の押しつけではなく"住民要求"として取り上げられてくることです。
習熟度別が"効果優先"であって、実は教育でも何でもないことをもっと我々は理解すべきではないでしょうか。
同時に公教育(私・公立)現場では、この"幻想"に打ち勝つ実践の構築が待たれているように思われます。そうでないと、公教育は今や塾・予備校"教育"の下に置かれサテライトによるものが「教育」だと、取って代わられてしまう危惧を持ちます。
遠き傷 紅き夕日に 浮き立ちて
風紋の 崩れゆく様 我が人生
人影の 無き浜にたち 潮を噛む
暴風雨 過ぎて我が身を 振り返り
お粗末きわまりないですが、恥さらしついでです。
(管理人) そうですね。
そして、ほとんどの教師は、そればっかりでない教育活動を
どっかに入れているとも思っています。
所で、本日、街を歩いていたら、「陽炎」という大きな文字。
映画のCMでした。掲示板の陽炎さんを思い出しました。
お返事 有難う御座います。
投稿者:
陽炎
投稿日:2005年 8月31日(水)23時05分7秒
レスを戴き有難う御座います。
これといった効果的な実践など持ち合わせていないのが正直な実際です。
ただ日々、判るようになりたい 知りたいという 子どもの目がわたしの眼前にありますから、それになんとか応えようとしているだけです。
比較されること 選抜されることから抜け出した”学び"を追求したいですね。
理解する過程は、十人いれば十通りの方法があって良いのでしょうが、そんな「非現実的」なことは考えられないし、できないですよね。
でも、非学校の塾や予備校でとりあえず「出来る」ようになってる「現実」があることからして、そこでおこなわれている少人数・個別学習と学校でしかできない方法とが融合調和することが必要なのではないかと考えています。
童の目 カマキリの鎌 見て笑う
新学期 通知表返却 笑い声
新学期です。ではまた。
(管理人) 「鴇ヶ根の 稲穂色づき 雀舞い」とあったので、私の郷里と同じ所の人なのかなと思いながら書いています。
子どもたちが分かるようになりたいという眼差しを向けているというそこから何となく知的興味を育てているのだろうと読んでおります。
具体的な内容・教材で試みるのがいいですよね。先に抽象的なこと考えても前に進めないことが多いですから。
ではまた。
(無題)
投稿者:
不一
投稿日:2005年 8月30日(火)16時29分42秒
子安です。
陽炎さん書き込みありがとうございます。
俳句、時季をうまく捉え、世界を表現されますね。
私ごくたまに、勉強したことはないのですが、ここに記したりしてますが、私の場合感動がないのが致命的だといつも思っています。
さて、学校というこだわりから抜けるのは容易なことではありませんが、ある種の思いこみとは無関係に、学ぶということをその内容の持つ意味と、それを教え学ぼうとしている者にとっての意味から、世の中や世界はどうなっているのかを捜せたらいいなと思います。
そういう教えと学びをどうしたらつくれるのかを考えていきたいと思いますし、そういう実践に学びたいと思います。試みておられることなどありましたら、また書き込んでみて下さい。
http://koyasujun.info/
訂正
投稿者:
陽炎
投稿日:2005年 8月30日(火)08時36分36秒
最小公倍数的な理解はさせなくてはいけません。
↓
最大公約数的
悩みます
投稿者:
陽炎
投稿日:2005年 8月29日(月)23時09分8秒
ひとりの子どもに授業の内容を理解させるということは
容易なことじゃないですね。
机上で考えているよりはるかに難しいです。
こども一人一人にも、生い立ちがあり個性があります。
それを絡げて論ずることは、なお難しいです。
しかし”相場”といったら言葉が適切ではないでしょうが
最小公倍数的な理解はさせなくてはいけません。
”学校”に拘って”理解”とそれなりの”レベル”を求めよう
とすれば、子どもも教えようとする大人も苦しくなります。
親御さんも教師も何よりも子どもたちもそこから”解放“され
本来の”人として学ぶ”ということに立ち戻りたいです。
お考えをお聞かせ下さい。
白芙蓉 咲きて紅う 夕景色
鴇ヶ根の 稲穂色づき 雀舞い
”句”らしきものは、前文とは無関係です。
初
投稿者:
不一
投稿日:2005年 7月25日(月)07時34分36秒
八十過ぎて なお生命への 執着に ハッと気づいたと 電話あり
http://koyasujun.info/
事実!
投稿者:
不一
投稿日:2005年 7月20日(水)07時56分30秒
事実にも色んな事実があるらしい。都合のいい事実、歪んだ事実。多角的かつ客観的事実を大切にしたい。
http://koyasujun.info/
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書評ありがとうございます。
投稿者:井沼淳一郎 投稿日:2005年12月21日(水)22時15分3秒子どものなかの物語を読みとく力と、それに応答して実践の見取り図を構想する力。今、必要なのはこのふたつですね。子安先生の指摘で、このふたつを分析していけるサークル例会づくりが必要なんだと、視点が明確になりました。
これまでの高校像ー積み重ねて階段を昇る者だけが栄光をつかむーを前提にしていては、今の子どもの物語は読めないと、直感します。半分はフリーターになる現実をみすえて、何度でも戻ってきていい、(高校を)ヨコから出ることもありという高校像をイメージしながら、自立の物語を読む目が必要になっているのではないでしょうか。このような高校像の提起が「元気のモト」では弱かったな、といま思います。
また、読むことは、どちらかと言えば、関係の指導と繋がっていますが、自治の指導ともいつかはつなげていく局面も必要になるのだろうと思われます。
そうした研究がまた広がって、広く読まれていく本となると良いですね。