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尾木センセイにはがっかり
投稿者:落伍者 投稿日:2007年 7月 6日(金)23時36分29秒まったく尾木センセイは、学校のどこを見ているのでしょうか。
今の学校はまさしく教師各自が持っている教師力を発揮できない構造を抱えているのに、そこを掘り下げないでここの教師力に帰結させようとするようでは、教育評論家としても終わっています。
教員はみんな疲れています。教師が疲れざるを得ない構造が学校にあるからじゃないですか。落ち着いて本すら読めない。毎度ぶっつけ本番の授業にならざるを得ない。生徒には申し訳ないと思いながら。
ゆとり教育は教師に向けられるべきものだったのに、教師には向けられず、生徒にゆとりということで、よけいに教師は忙しくなった。
これはもしかしたら、日本人の国民性なのでしょうか。
太平洋戦争で、零戦のベテランパイロットは休み無しの戦闘勤務に駆り出され、疲労がたまり、最後は持てる力を発揮できなくなった。対するアメリカパイロットは何週間か勤務したら、たっぷりと長期休養をとり、力を充実させてから戦闘に復帰したといいます。
教師力云々の前に、こうした休養や充電は悪だとする国民性のほうを尾木センセイには指弾してほしかったのに。
うちの職場の教師の中にも、教師は所詮小人だから暇を与え過ぎたら不善を為すのでできるだけ休みを無くす方がいいなどと発言して管理職にしっぽを振るのが居てます。
皆ボロボロに疲れているのに、つられて強がったこと言ってしまうんですよね。
疲れてボロボロであるのが勲章になってますね。結果授業のクオリティが下がってもあまり問題にしないんですよね。これおかしいですよね。
子安先生いかが思われます。
個別の授業がどうあるべきかを論じることと、大量現象としての授業の
傾向を論じることは区別したいと思います。大量現象としてありやなし
やを確かめるには、量として示すか、政策として示すことどちらかが必
要だろうと思います。厳密な数字が必要だとはまったく思いませんが、
もう少し根拠があればと思います。
また、教材研究の時間がなければ過去の経験で授業をすることになって
授業の質も下がるでしょう。ですから、その時間を確保することが必要
だという点ではその通りですね。